再生敷地の中に大正時代の土蔵があった敷地は市駅から徒歩10分程の貸し駐車場であった。敷地中央に1922年築造の土蔵がポツリと残っていた。それは不思議な、ある意味で現代日本でこそ見ることのできる特殊な風景だった。周囲の人が蔵の存在を見過ごすほど外装は風化していたが、内部の木構造は乾燥した良い状態で残っていた。 左官ワークショップ
施主は子供の頃体験した土蔵空間を懐かしみ、自分の子供たちに残してやりたいと願っていた。問題は費用であった。私達は内部空間を守ることを第一義とし、検討の末、外壁漆喰補修を地元有志の協力を仰ぎ、左官に興味ある素人集団で補修する試みした。左官ワークショップについて詳しくはこちらをクリックしてして下さい。
ケヤキや桜の建築部材は、内部造作家具の一部に使った。しかし堅い古材はカンナの刃を傷め、コストの関係で全てを利用することは断念した。
地場の木を使うには乾燥に時間を掛ける必要がある。しかし今回は伐りだしてから約4ヶ月で使わねばならなかったため、外装材に使うことになった。施主の実家ではこれ以前伐りだして十分乾燥させていながら、結局施工業者に材料を受け入れて貰えなかった経験があったという。息子である施主は父親の山の木を家に使いたいと強く願っていた。杉板は昔から日本家屋の代表的な素材である。この木を蔵と新しい住居部分をつなぐ外装として使うことにする。 |