旧西本組本社ビルと和歌の浦(和歌浦)・あしべ屋妹背別荘
2012年6月30日作成 、7月20日、9月1日、10月24日、11月14日、2013年8月21日、9月20日、2014年3月10日、4月20日、5月10日、2015年1月22日、2月8日、2月11日、3月3日、3月9日、9月9日、11月13日, 12月31日、2016年2月28日、3月6日、4月20日、8月26日、2017年2月9日、2018年1月24日、2月4日、2020年5月8日改訂
(c) Naoko Nishimoto and Shin-ichi Nishimoto, all rights reserved.

 和歌山市の名勝和歌浦にある「あしべ屋妹背別荘」の建物は旧西本組本社ビルを築造した初代西本健次郎が大正年間に「あしべ屋」から譲り受け、代々100年近く所有・管理運営を続けています。戦後、居住した時期もありました。1970年後半から約35年間、建物に愛着を持って頂ける店子との邂逅を得て大切に使われていましたが、2012年4月に県の指導により店子との契約を解消することとなり、思い掛けなくこれまでの使い方を替えることになりました。これまでに補修工事も一度ならず行なって、店子も大切に使ってくださっていましたので、雨漏りなどもない状態です。現在よい利用方法を急ぎ模索致しております。

経路:和歌山市駅、JR和歌山駅から和歌山バス「玉津島神社前」下車徒歩2分。両駅よりタクシーにて約25分。


ご連絡はこのメールをご利用下さい。

@yuji nakajima

内海に浮かぶ島・妹背山。島の左側に見えるのが「あしべ屋妹背別荘」

写真右端に西湖を模した石橋の三断橋の一部が見える。

*建物の呼称を「旧あしべ屋別荘」改め「あしべ屋妹背別荘」と致しました。人は変われど建物は生き続けますので「旧」を取ります。大正期の絵葉書に倣い「妹背」の地名をいれます。
*45畳奥座敷の貸しスペースを始めました。詳しくはメールにて


あしべ屋妹背別荘のパンフレット(2017年2月改訂版)"クリックして拡大”


<史料渉猟>
2012年より「あしべ屋妹背別荘」について判ったことを纏めては出版しています。
タイトルをクリックし、PDFにてご覧下さい。*リポジトリーに移行したら、 例えばMU環境研究所紀要3_07 (5.33MB) などのアイコンをクリック。
"和歌浦「あしべ屋別荘」と夏目漱石"  武蔵野大学環境研究所紀要2(2013)  pp.77–93
"和歌の浦「あしべ屋」の増改築の過程"  武蔵野大学環境研究所紀要3(2014) pp.99–115
"和歌の浦「あしべ屋」を巡るその他の史料"  武蔵野大学環境研究所紀要5(2016) pp.105–112
"和歌の浦「あしべ屋」と「妹背別荘」を巡るその他の史料"  武蔵野大学環境研究所紀要6(2017) pp.33–46
"和歌の浦の妹背山を巡るその他の史料"  武蔵野大学環境研究所紀要7(2018) pp.163–179 2018/04 出版予定
"あしべ屋の挨拶状とその他の史料"  武蔵野大学環境研究所紀要7(2018) pp.181–190 2018/04 出版予定

"近代の妹背山:あしべ屋妹背別荘について(明治・大正期を中心に)"  名勝和歌の浦・玉津島保存会編「文化財担当者と学ぶ名勝和歌の浦」(2017) pp.89–99
*2014年1月19日13:30–15:30、あしべ屋妹背別荘奥座敷にて第6回・文化財担当者と学ぶ名勝和歌の浦講座(名勝和歌の浦・玉津島保存会主催)が行われました。上記はその時の講座内容。この時始めてこの建物の由来を詳しく知った方も少なくなかったと思います。貴重な機会を頂きました。同著には拙稿ほか”和歌の浦 妹背山”(菅原正明)や、名勝和歌の浦の環境や歴史について13テーマが収められています。和歌山市内書店他、桜まつり”花びら市”にても販売します。




<お知らせ>

2018年 3月31日(土)、4月1日(日)桜まつり!

玉津島保存会ブログはこちら





<ミニ写真展>

雪の妹背山

昨年の雪景色を収めた三部作

2017年1月24日、和歌浦在住写真家、遠山勲氏 撮影




2017年12月17日、箏曲デュオ「わびすけ」のコンサート

桜まつりで演奏している西陽子門下生の中から、女性箏曲デュオ「わびすけ」が誕生して2回めのコンサート。

箏・三絃の清水利美と箏・十七絃の山田裕子と、尺八の高橋萌山を交えての演奏で、ファンを増やしつつあります。




2017年11月12日、はじめての障子張りボランティア

障子紙がひどく傷んでいましたが、東京在住で、いつも来るときは妹背別荘のことを色々してなかなか障子にまで手が回りません。

和歌山に帰れたこの日、箏の弾き手の清水さんご夫婦、川嶋さん、日根さんのご協力を得てやっと張り替えることができました。

障子の白が眩しいです。

皆さん、お疲れ様でした。




2017年10月1日、名勝和歌の浦、観月会in妹背山「竹燈夜」

夜景撮影:中北智子さん



点火式の前に御船歌が歌われる。市長が来られた。

2016年から子供たちが沢山参加している。そしてなかなかうまい。

奥座敷には、恒例の地元の皆が撮った和歌の浦の写真展の準備が整った。左奥では「定点観測」の動画を流した。正面は和歌山雅楽会による雅楽の演奏の舞台。

定点観測

和歌の浦の住民のお祭りのために制作した和歌の浦の内海を愉しむ動画


祭りの時、東側の建具にかねて探していたレールが見つかったが簡単に建具を入れられない。

竹燈夜の準備をしていた人らも来てくれて、何とか直すことができた。




2017年桜まつり



あしべやにうたう/和媚すけ+高橋萌山

2017年1月15日(日)

和媚すけ(箏:清水利美、十七絃:山田裕子)結成の第1回のコンサート

*2017年12月に第2回の公演予定決定。詳細は近日公開。




あしべ屋の夕べ/スペシャルゲスト:ナスノミツル

2016年11月26日(土)

企画:the birth for nil & お還りなさい




おはなしの会

あしべ屋妹背別荘で聞く(入場無料)

和歌山お話の会・語りの森

子どもたちに使ってもらえるのはとても嬉しいです。

2017年も4月16日(日)と10月15日(日)の2回の開催が決まりました。




2016(平成28)年「第4回 名勝和歌の浦 竹燈夜in妹背山」

今年も名勝和歌の浦の観月会、竹燈夜の季節となりました。

9月17日(土)〜18日(日)和歌の浦写真展

9月18日(日)コンサート 親子で楽しむ造形ワークショップ

詳しくはチラシにて。皆さまどうぞお運びください。

上の画像をクリックしてチラシの内容をご覧いただけます。





”妹背山エコロジー計画パート1報告会”2016/08/22

2014年7月から始めている実証事件報告会を行いました。

建物の存続に必要な設備を、自然の原理を使う小さな設備の検討をしています。背景には島にあるための配線配管の苦労があります。

あしべ屋に縁のある南方熊楠ににあやかり妹背山エコロジー計画と命名し、2014年に立ち上げました。和歌山の巨人・熊楠のエコロギーは人間も含めた広い意味を持っていたのではないかと考えています。

上の画像をクリックして2016年1月時点の妹背山エコロジー計画パート1の内容をご覧いただけます。

今後、ワークショップなどを企画しております。和歌山在住でご興味あるかたはkronosclear(c)gmail.comまでご連絡ください。ご案内を送らせていただきます。





NHK和歌山 2016年4月4日放送「わびたび」で紹介されました。

上の画像をクリックして内容をご覧いただけます。





上の画像をクリックして、お祭りの様子をご覧いただけます。


2016(平成28)年「名勝和歌の浦 桜まつり 」


あしべ屋妹背別荘・”花さそふ”

花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり  入道前太政大臣


チラシはクリックすると拡大して見ていただくことができます。

あしべ屋妹背別荘の桜まつりのパンフレット(2016年3月3日)




Sense of this combination ~ ある感覚、ある合一から <


2016(平成28)年4月9日〜10日開催

企画:尾崎水耶  協賛:Roberta Fiorini

詳細はフライヤー画像をクリック




”あしべ屋妹背別荘から考える〜名勝和歌の浦と歴史的建造物の保存”

和歌の浦を生き生きとした場所として考えていくことが望まれます。

2016年2月13日、和歌浦アートキューブでの和歌の浦まちづくりシンポジウムで

あしべ屋妹背別荘が展示した内容をご覧いただけます。

ここをクリック

2014(平成26)年から開始している「妹背山エコロジー計画」について近日upします。




創流120周年支部創立70周年青年部設立5周年記念いけばな小原流展

創流120周年支部創立70周年青年部設立5周年記念いけばな小原流展

2015年(平成27)年11月14日〜15日開催

小原流五世・小原宏貴家元の作品も展示されました。

*記念写真集(2016年1月発行)より






@yuji nakajima

2015(平成27)年、9月27日、第3回 竹燈夜in 妹背山が開催されました。

和歌の浦写真展も26、27日の二日間開催されました。今年は和歌の浦写真展は現代美術家と空間を共有しました。広場では終日音楽祭り「和歌フェス」が行われ、夜にはチュリスタと高校生の皆さんの合奏は聴き応えがありました。年々参加者が増えています。写真家の中島悠二さんが来合せて写真をとってくれました。

@yuji nakajima

子どもたちのキャンドルです。色が美しい。



@yuji nakajima

妹背別荘も趣を変えます。



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@yuji nakajima

名月の観海閣。



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WAKAYAMAサローネ

2015年(平成27)年9月13日から10月12日まで、WAKAYAMAサローネの会場として

Art Unit HUST(臼木英夫・遠山伸吾)によるインスタレーションが行われます。

詳しくはWAKAYAMAサローネ・アートユニットHUST(臼木英之、遠山伸吾)



「あしべのたづ茶会」サローネの企画で、お菓子付の茶会です。

開催日:9月23日14:00−16:00

詳しくはWAKAYAMAサローネのサイトにてご覧ください。




2015(平成27)年「和歌の浦 桜まつり」の内容が決定しました。


「あしべ屋妹背別荘・聴こう、歌おう、“和歌の浦の音”」

熊楠と和歌の浦/あしべ屋妹背別荘


あしべ屋妹背別荘の桜まつりのパンフレット(2015年3月9日)。

*4月4日(土)午後1時半からの演奏会は玉津島神社広間に変更になっています。



2015年3月に「あしべ屋妹背別荘で聞く・お話の会」があります。第2部で「妹背別荘の愉しみ方2」として第1回に続いて建築的な見方なども交えて建物をめぐるお話をさせて頂くことになりました。この活動は和歌山市の助成を受けて行われています。



2014年12月、上甲ひとみさんを中心とするお話の会が催されました。日本家屋で子供たちに昔話を聞かせる活動を行っておられます。45畳で子供たちとゆったりとした時間を過ごします。後半は講演と申しますか、会席旅館あしべ屋のお話や、妹背別荘の建物のご案内などをさせていただきました。この活動は和歌山市の助成を受けて行われています。


2014年11月、鉄砲衆・雑賀孫一と同一人物ともいわれる「沙也加」をテーマとする演劇

「沙也加の見た空」が上演されました。

奥座敷45畳を斜めに使い独特の手法で演じられました。

椅子100脚を和歌浦小学校からお借りし、運搬はエル・シティオの協力を得ました。


2014年9月、竹燈夜in妹背山が行われました。

45畳奥座敷では実行委員会の皆さんの力で和歌の浦の写真が公募展示されました。

見慣れた風景の思いがけない瞬間が切り取られていました。

あしべ屋妹背別荘入り口に子供たちのコップイルミネーションが並びました。可愛らしい光が揺らめいていました。


2014年5月11日の日曜日には、「日本三大祭」のひとつと喧伝され、全国から人が集まった和歌祭が執り行われます。
会席旅館「あしべ屋」が明治26(1893)年に出版した広告冊子「紀伊和歌浦図」でも、この和歌祭の紹介を4ページ(2丁)にわたっておこなっています。

国立国会図書館の「デジタルコレクション」:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765544

において「紀伊和歌浦図」は公開されていますが、残念ながら白黒画像で、しかも解像度が高くありません。そこで西本家が所蔵している「紀伊和歌浦図」の該当部分のカラーの画像を御紹介したいと思います。この版はいくらか痛みや汚れが散見されるのですが、墨版・薄墨版、そして桜色の版のあわせて3色刷りを用い、練り歩く行列を丁寧に表現しているさまを知ることができます。
「紀伊和歌浦図」で桜色の版が使われているのはこの4ページだけで、あとは墨版と薄墨版の2色刷りとなっており、他に強調したい地名や施設名があった際には、2箇所ほどに小さな朱印を押すということがなされました。
初版明治26年、再版明治29年の「紀伊和歌浦図」は、

・国立国会図書館関西館
・和歌山県立図書館
・和歌山県立博物館
・和歌山市立博物館
・和歌山大学紀州経済史文化史研究所
・野田市立興風図書館
・溝端佳則氏個人蔵

などの各研究機関などが複数冊を所蔵しているため、今日まで合計で十数冊が知られており、この他にも2013年にネット・オークションで出品されたりしています。興味深いのは、奥付にうかがわれる日付に今までのところ、4種類が確認される点で、この日付の変更は当時の和歌祭の開催日を強く意識していたことが知られています。なお、ネット・オークションに出品されていたのは明治29年の再版の特徴を有することも判っています。
和歌祭に関しては、和歌山大学の米田頼司先生と吉村旭輝先生が権威です。




2014年4月27日 ヨガと茶話会、奥座敷45畳にて。
インドと高野山などで活動を行っておられる中口朋子氏によるヨガの教室が行われる。妹背別荘は海に囲まれているためであろうか、穏やかな静けさがあり、どのようなヨガが展開されるか愉しみである。当日の詳細はSHRI KALI JAPAN 中口朋子のブログにて掲載されている。


2014年4月12日 「和歌の浦〜和歌山を歌おう会 あしべ屋妹背別荘」奥座敷45畳にて。
4月1日にCD復刻された”都はるみ 島倉千代子 古都清乃 和歌山の歌全曲集”の発売記念コンサートとして行われた。企画者の岩橋和廣さんから和歌の浦の歌も歌うと伺って、以前より気になっていた「あしべ節」のことをにお話させて頂いた。坪内逍遥が作詞した「あしべ節」という歌がある。歌詞は入手していたが、国会図書館にあるらしい音源はまだ聞いたことがなかった。すると岩橋さん、一週間と立たぬうちに「あしべ節」を歌っておられた歌手を探しだされて4月12日に披露された。
当日の演奏はここをクリックしていただいて聴くことができる。


お知らせ

ご応募ありがとうございました。

「玉津島桜まつり」でのあしべ屋妹背別荘の催しが決まりました。ここをクリックして「玉津島桜まつり」チラシを御覧いただけます。



Founder's photo

当日展示された”2013年のあしべ屋妹背別荘の歩み”。(画像をクリックすると拡大します)

桜まつりでは、江戸時代、あしべ屋で売られた「いもせ焼餅」の復刻販売も致しました。
お餅と一緒に配った、紀伊和歌浦図の「いもせ焼餅の広告」は
こちらをクリックしてください。
いもせ焼餅の復刻に尽力された故・篠田めぐみさんに敬意を表します。焼き型は和歌山の老舗・駿河屋に保管されており、今回も駿河屋さんで作って頂きました。ヨモギと白餅の二色。やや塩味の効いた餅と”あん”の組合せ、量の程合いが何とも言えません。

あしべ屋妹背別荘では桜まつりで毎年この焼餅を頂くことを楽しみにしたいと思っていましたが、思いがけなく駿河屋がなくなるということが起こってしまいました。2015年年頭に再建の試みがなされていると耳にしました。”いもせ焼餅”をまた島で頂ける日を待っています。

2014年4月5日(土)、6日(日)の「玉津島桜まつり」に参加決定。

「あしべ屋妹背別荘」45畳奥座敷で行う企画を募集します。

<概要>

2014年、地元地域住民で、和歌の浦一帯でお花見に合わせて各所で催しをする「玉津島桜まつり」を企画しています。「あしべ屋妹背別荘」は、奥座敷45畳で広く企画を募集します。45畳の畳空間を活かせる企画をお待ちします。採用させていただいた方には地元名産をご用意させていただいております。また、自ら実施される方には場所をご提供させていただきます。「あしべ屋妹背別荘」保存に向けて是非ご協力をお願いします。内容によりますが企画時間帯は午後10時から午後8時頃までとします。独特の場所です。振るってご応募下さい。

大広間の図面は下記パンフレットをどうぞご参照ください。

締切り:2014年2月4日(日)

詳細など、ご連絡はどうぞこのメールまたは、<ファクシミリ>03_3779_4800(担当:西本)をご利用下さい。



2014年1月19日、あしべ屋妹背別荘で行われました。


玉津島神社保存の会主催による連続講座 第6回「文化財担当者と学ぶ 名勝和歌の浦講座 『近代の妹背山』」にて

明治・大正時代を中心にあしべ屋とその別荘についてお話させていただきました。

第6回「文化財担当者と学ぶ 名勝和歌の浦講座 『近代の妹背山』あしべ屋別荘について〜明治大正期を中心に」の様子がブログ「みちしるべ」でアップされました。


満月の夜の「旧あしべ屋妹背別荘」。

35年以上前になるが、津屋川ポンプ場の位置にはまだ何もなかった。

月夜に川辺に立てば、穏やかな海面に月が映り込み、この世のものとは思えない静かな景色が見られたことが思い出される。

2013年9月21日に和歌浦の地元の皆さんで企画された観月会、「竹燈夜」の催しの会場として使っていただくことになった。あしべ屋妹背別荘では夜7時から30分程、蝋燭を灯して昔話を聴かせる「お話の会」(”語りの森”主催)が催される。木造家屋を知らない子供達にはこうした会場が望ましいと言われる。海と山に近いあしべ屋別荘には独特な夜の雰囲気がある。

当日配布用にささやかなパンフレットを作成した。

下記をクリックして見ていただくことができます。

あしべ屋妹背別荘のパンフレット第1号(2015年2月8日改訂版)




大正時代初期の撮影と思われる「旧あしべ屋別荘」の写真。(溝端佳則氏所蔵)

現在は近くに水門が建設され、同アングルからの撮影は難しい。建物右端の洋館風部分(ビリヤード場)は後に移築された。


妹背山と玉津島神社の間を走る車道。和歌山バス「玉津島神社前」停留所が見える。


妹背山と玉津島神社の駐車場


道を隔てて三断橋の向かいにあった旅館「あしべ屋」本館の跡。2012年正月撮。


@yuji nakajima

「旧あしべ屋別荘」奥座敷夜景。


観海閣より「旧あしべ屋別荘」を望む。大正前期撮影。(溝端佳則氏所蔵)


ほぼ同アングルの観海閣側の入り口からの写真。2012年5月撮。


旧あしべ屋別荘の正面入り口。2012年正月撮。


旧あしべ屋別荘の庭。2012年正月撮。


ガラス戸が入れられた廊下と庭。当時、格式ある植栽とされた蘇鉄が植えられている。明治期も皇族が訪れた記録があり、そのためのしつらいが必要であったと思われる。2012年正月撮。


観海閣横の広場から見る広間側廊側。2012年正月撮。


観海閣。桜の名所、名草山・紀三井寺を内海を挟んで真正面に見る位置に建てられた。もとはケヤキ造りであったが、第二室戸台風で被害に遭い、RC造で再建された。2012年正月撮。


島中央の山の中腹にある多宝塔(市指定文化財)。2012年5月撮。

和歌公園マップへのリンク


名勝和歌浦全体図


和歌浦全図:「紀伊和歌浦図」(明治26年発刊。国立国会図書館デジタル化資料)より

 古来から玉津島と妹背山周辺の景観は人を惹きつけていました。万葉集の時代には山部赤人の「若の浦は汐満ちくれば片男波 芦辺をさして田鶴なき渡る」の句が読まれています。江戸時代(1651年)には、紀州藩初代藩主・徳川頼宣が和歌浦に父親のために東照宮を、母親のために多宝塔を建設し、一つの聖域として計画しましたが、その際に2つの茶屋も計画しており、その一つが「あしべ茶屋」と命名され、後に旅館「あしべ屋」となりました。江戸時代には芭蕉が”笈の小文”で「行く春にわかの浦にて追付きたり」という句を残しています。芭蕉が旅をしたのは1687年10月から1688年4月とのことですので、三断橋を渡り妹背山から春の静かな内海を眺めることもできたかと思われます。

 「あしべ屋本館」は玉津島神社脇にありました。子供の頃はモダンに建替えられた陸屋根の「あしべ屋新館」がまだ残っており、2階の窓から天井のミラーボールが垣間見えたのを覚えています。しかしこれも昭和60年代に解体されてしまいました。一方、非常に珍しいことですが、「あしべ屋別荘」の建物は国の名勝指定和歌浦にあって、建物のみが個人所有のまま、代々民間で所有管理運営を行い現存しています。建物の存在は紀伊和歌浦図(明治26年発刊)で「芦辺や汐湯」の名が書き込まれた苫屋風の建物が既に見られ、少なくとも明治27年の国定公園指定時には「あしべ屋」所有の建物が存在したと思われます。


妹背山部分拡大:「紀伊和歌浦図」(明治26年発刊。国立国会図書館デジタル化資料)より


和歌の浦 あしべ屋本館と不老橋(明治時代末。国立国会図書館デジタル化資料)

 南海電鉄が和歌山市に向かって路線を伸ばし始めた明治20年代から、日本の近代化の中で徐々に和歌浦の観光開発が勢い付きました。当時の旅館「あしべ屋」にも華やかな来客の履歴が知られています。一般には余り知られておりませんが、夏目漱石が1911年、朝日新聞社の講演旅行で来和した折に、当初は「あしべ屋別荘」を宿として予約していたことが日記で記されています。漱石が講演の地として和歌山を選んだ契機について、「和歌山漱石の会」で大変興味深い研究をされています。2012年夏のシンポジウムに参加させて頂きました。その折に恩田雅和さんの講演で、漱石が留学先の英国で後に浜口梧陵の養子となる浜口坦と親交を持っていたことを始めて知りました。また漱石の講演の前年、1910年に起こった「大逆事件」で首謀者として和歌山から複数の処刑者が出たことが背景にあるのではないかという説も伺いました。2012年初頭に「前衛の遺伝子〜アナキズムから戦後美術へ」(足立元著、2012年、ブリュッケ)に触れ、大逆事件は遠い昔でありながら親の世代を通じて永く我々世代に影響を及ぼしているかもしれないと思わされたばかりでしたので、私にはこの説がどことなく現実味を帯びて響きました。1900年前後は色々と気になる時代です。脱線してしまいました。漱石とあしべ屋の話に戻ります。漱石の和歌山での講演は「現代日本の開化」のタイトルでよく知られるところで、明治の文明開化による上からの近代化に疑問を投げかける反体制的内容でした。
 当時、「あしべ屋別荘」は内海の島という特徴的な立地から、「あしべ屋本館」よりも風情が楽しめる場所として皇族方もお泊りになる由緒ある宿とされていました。日記によると、漱石が宿に到着したところ、同日に京都帝国大学総長菊池大麓も宿泊することを知ります。政府のやり方に異を唱える講演内容であったためかもしれませんが、漱石は菊池総長との同宿を避けて、急遽、宿泊先を「望海楼」に変えたと書かれています。その他にも旅館「あしべ屋」は南方熊楠が孫文と再開した場所としても知られています。あしべ屋以外にも戦後残されていた木造3階建ての旅館などもすっかり解体されました。今となっては「あしべ屋別荘」は、和歌浦が明治の近代化の中で、束の間ながら美しい内海のある観光地として花開いた時代の希少な資料と言っても過言ではないと思います。漱石が来和した直後から、和歌浦隧道の完成とともに森田庄兵衛による鉄筋コンクリート技術を使った新和歌浦の大規模観光開発が進んでいきます。
 船着場が見え、当時、一帯の水との関わりが深かったことが分かります。


 あしべ屋本館は上の写真のように3階建ての姿が良く知られていますが、新たに2階建ての写真が見つかりました。明治10年代頃撮影とも思われる鶏卵紙写真で、大きさは縦約5.5センチ、横約8.5センチとのことです。道幅がまだ狭く、舟が建物のすぐ前の浅瀬に泊まっており、水辺とのより緊密な関係が看て取れます。(2012年7月19日付毎日新聞和歌山版による。)


妹背山と三断橋

 内海に浮かぶ妹背山に渡る「三断橋」は中国の西湖にある橋を写したものです。頼宣公の計画です。石は粘土質の砂岩です。劣化が激しく、部分的に鋼製プレートなどで補強していましたが、2012年7月より全体補修工事が開始されることを本年5月に県より連絡いただきました。交通はやや不便にはなりますが、橋が補修されることは嬉しいことです。

 妹背山には頼宣公の計画により3つの建物が建てられています。山の中腹には天下泰平を祈り、民衆が祈りを込めてお経を書いた石(経石)を納める多宝塔(市指定文化財)が、内海に面しては、海を隔てて向かい側にある名草山中腹の桜の名所でもある紀三井寺を眺める観海閣が、三断橋の袂にはお万の方を祀る碑を納める経王堂(復元)が、あります。また、建物ではありませんが、妹背山の山肌には特徴的な細かな層が見られ、万葉集の中でも詠まれておりますが、玉津嶋神社脇の山肌との連続性が訪れる人々の目を引きます。


旧あしべ屋別荘の現況略平面図(点線部は既設増築部分)


建物内から庭を見る。庭の向かって左手には特徴的な山肌がそそり立っている。


@yuji nakajima

奥座敷内部。左手に10畳続き部屋の襖が見える。2013年9月撮。


奥座敷欄間の縦繁格子。2012年5月撮。


@yuji nakajima

奥座敷をめぐる廊下には高欄と擬宝珠が設えられている。


山肌の硬い層に樹木が根をはる。




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